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山尾悠子のこと

幻想文学とファンタジー文学は、
厳密には違うのだろうけど、
便宜的に「ファンタジー」と書かせていただく。
ジェフリー・フォード作/山尾悠子など翻訳「白い果実」

ファンタジーを書く人には2種類ある。
1つは、ファンタジー世界の詳細な設定に熱中する人。
通貨がどうとか、地図とか、人々の肌の色や、衣装がどうとか。
それは多分、世界を構築する「神」の楽しみなのだろうと思う。
そちらが楽しくなってしまって、
物語をつむぐことが疎かになるというのが、
シロウトにはありがちなパターン。
もう1つは、ファンタジー世界の設定を使って、
自分の萌えシチュエーションをこれでもか!と繰り出す人。
プロにはこっちが多いと思う。
その世界にハマれば熱狂的なファンになれるが、
ハマれなければ、作者が見えすぎてしまって、
読者おいてけぼり、ということになりかねない。
例えば、長野まゆみとか野亜梓とか。

山尾悠子は、世界を構築することにも興味がないし、
自分の萌えを開陳することにも興味がない。
山尾の興味は多分「ことば」そのものなのだと思う。

昨今の小説は、登場人物の心情の変化で物語が流れる。
トピックとそれに影響される変化、その連続性が前提にあるように思う。
山尾悠子はそれがない。

細切れのエピソードそのものや、連続/非連続であることに意味を持たせる作家もいる。
私の中では、安倍公房とか村上春樹とかが、そのようなイメージだ。
山尾悠子にはそれもない。

それは散文詩のようだ。
いや、本当に散文詩なのかもしれない。
内包された意味とか、整合性とか連続性とか、
そんなものはどうでも良くて、
ひとつひとつの「ことば」を、愛でるように鑑賞するものかもしれない。

   ■■■

山尾悠子「ラピスラズリ」
最初、長野まゆみ系かなぁと思ったんだよね。
人形、鉱物、水、月、とか、
長野が好きそうなモチーフが並んでいたから。
でも違うのよ。
長野は作者の萌えが見えちゃって、苦笑しちゃう事もあるけど、
こちらは全然作者が見えない。
作者もすごく客観的な視点なわけ。

よく少女漫画家が「話が降りて来る」みたいなことを言うけれど、
ああいう感じがするのね。
もうその「世界」が完璧にできていて、
そして山尾だけにはそれが見えていて、
それを「ことば」にしているだけ、みたいな。
そこに山尾はいなくて、
彼女の体を借りて、神話が語られているような。

よりまし、っていうのかな。
「ことば」だけで、人と人ならぬモノの間をつなぐ。
ある意味、本当に彼女はそうなのかも。

   ■■■

山尾悠子作品集成
とまぁ、そんな山尾悠子の小説たち。
これらが70年代初頭に書かれたことが驚き。
ちょっと時代が早すぎたろうね。

元は、幻想文学もファンタジーも同じものだったのかもしれなけど、
今は全然違うニュアンスだよね。
妹尾ゆふ子あたりが、まだ間にいそうな感じがするけど。
今、ファンタジーって言ったら、もう竜と剣と魔法だもんね。
ハリポタとか、指輪とか。
幻想文学って言ったら誰なんだろう。
澁澤龍彦なんか、すごく幻想文学の人なんだけど、本業じゃないしね。
日本にはいないかなぁ。
ダンセイニとか、一時期のラブクラフトとかは浮かぶんだけど。

これを漫画にしたらどうなるかなぁと思ったんだけど、
一瞬、SF漫画家ってことで佐々木淳子が浮かんだ。
彼女は「子宮で考えた」と言われて気分を害したそうだけど、
私もそう思うなぁ。
あのぐるぐるっぷりは。
だから佐々木よりは、
女性性のようなイキモノのにおいを、極力排除できる人がいいかな。
萩尾望都も良いんだが。
意外に、永野譲とかが合いそうな気がする。

音楽にしたらと考えて、谷山浩子が浮かんだ。
あんなにかわゆらしい声でなくても良いんだが、
「幻想」というジャンルに合う詞を書く人って
少ない気がするんだよね。
アルバム「お昼寝宮・お散歩宮」の「夢の濁流」(→歌詞)とか、
かなりイメージが近いと思ったよ。

解説のところを読んでいて、軽くショックだった。
私が好きな(もしくは昔好きだった)作家がずらずらと並んでいたから。
野亜梓を始め、森茉莉、澁澤龍彦、アイリス・マードック、アナイス・ニンなど。
森茉莉と澁澤以外は、ものすごくマイナーじゃないか。

野亜なんて、山尾から呼びかけられてるぞ。
振り返ってみれば、
彼の初期の作品である「銀河赤道祭」とか、レモンTシリーズとか、
そのあたりは、雰囲気がすごく山尾っぽい。
本人曰く「やおいにはまった」後の作品は
エログロだらけになってしまい、
私にはそれが醜悪で悪趣味に感じられて
(思うに、あれはやおいじゃない。気持ち悪いんだもん)、
読めなくなってしまったけど。

マードックも、現代を舞台とした非常に観念的な小説が多く、
柔らかい安倍公房って感じかもしれないが、
意味を求めることそのものを揺るがす点は、山尾に似ているのかもしれない。
世界が既に構築されていて、その描写によって物語をつむぎだすなら、
そこに作家の影はかなり薄くしか(もしくは全く)投影されない。
マードックは、作家自身が作中に出ないことを大事にしていた作家だ。
山尾がそれを意識していたかどうかはわからないが、
結果的に、そんなところも、似ているような気がする。

画家の名前も挙がっていて、
それも私が大好きな画家だったから、これまたびっくり。
バージル・フィンレイとかギュスターブ・モローとか。
モローは有名だから良いとして、フィンレイが出てくるとは。
彼は挿絵画家の方だけどね。
フィンレイといえばラヴクラフト。
ラヴクラフト以外でこの名前見たの初めてだよ(笑)

山尾を知ったのはここ数年のことなんだけど、
辿りつくべくして辿りついたのかもしれない。

これから読む人には、この順番がおすすめ。
・白い果実
・山尾悠子作品集成
・ラピスラズリ
白い果実は、起承転結があるからとっつき良い。
集成より先にラピスを読んじゃったんだけど、
集成を先に読んだ方が、
彼女の世界観とか破滅嗜好なんかがわかって、
より味わい深かったのでは、と思う。
by xiaoxia | 2007-03-09 20:00 | 読む
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